サスペンス/ミステリー

映画『ゼロ・コンタクト』の感想・ネタバレ:この孤独感はなんだ

鳥頭N
原題:Zero Contact 制作:2022年 アメリカ (C) 2021 92 FILMS, LLC.

リック・ダグデイル監督の映画ゼロ・コンタクトを観たので、作品情報につづいて感想を書き残しておきます(すぐ下はネタバレなしの感想)

視聴方法はPC。購入はU-NEXTのポイントレンタルでしました。

ラスト・結末までの簡易的なネタバレは「あらすじ」の項に隠し表示してあるので、鑑賞後のおさらいや予習用に読みたい方はそちらを参照のこと。

映画『ゼロ・コンタクト』の作品情報

監督

  • リック・ダグデイル

脚本

  • キャム・キャノン
    映画『パシフィック・ウォー』(2016):脚本

役名/キャスト

  • フィンリー・ハート/アンソニー・ホプキンス
    映画『羊たちの沈黙』(1991):ハンニバル・レクター役
    映画『ファーザー』(2020):アンソニー役
  • サム・ハート/クリス・ブロシュー
    映画『ソウル・サーファー』(2011):ティミー・ハミルトン役
  • トレヴァー/アレクス・ポーノヴィッチ
    映画『沈黙の艦隊』(2023):ローガン・スタイガー役
  • ヴェロニカ/ヴェロニカ・フェレ
    映画『ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄』(2015):ハンナ役
  • リク/TJ・カヤマ
  • ハカン/マルティン・ステンマルク

予告編(字幕版)

あらすじ

テクノロジーの界の巨人フィンリー・ハート。野心に溢れたカリスマだったが、自社を追放され病に倒れ亡くなった。一方、ひとり息子のサムは、多忙な父フィンリーと関わることなく人生を歩んできた。ある日、サムとかつてフィンリーの側近として働いていた4人が招集される。フィンリーが独自で開発を進めていたプロジェクト「クオンティニュアム」の再起動をするためだ。しかし、それは人類に危機を及ぼすと判断され、フィンリーの失墜の原因でもあった。また、再起動をするためには、5人それぞれに遺されたパスコードを60分以内に入力しなければならなかった。それぞれが逡巡する中、メンバーの1人が何者かに殺害されてしまう……。

Q
映画『ゼロ・コンタクト』ラスト・結末のネタバレ(※押すと開きます)

メンバーの一人であるハカンを殺害したのは、フィンリーの妹レベッカの息子であるウィリアムだった。

フィンリーの悲願であった、異なる時間、空間を自在に行き来できるシステム「クオンティニュアム」の開発。しかし、レベッカたちは、宇宙空間にあるダークマターから動力を得るという方法に対して「ダークマターは動力源としては不安定で、広く実用してしまうと人類の滅亡に繋がりかねない危険な方法」と判断し、表向きには「会社資金の流用」という理由をつけてフィンリーを放逐していた。

じつはそのときすでに開発が完了していたクオンティニュアムだったが、レベッカらは会社の資産を管理するハート財団の物件にそれを移送し、完全起動することがないよう厳重に管理。ウィリアムはクオンティニュアムの機能を一部使用して、各国にいる5人のパスワード入力を妨害していたのだ。

しかし、そうなると疑問が生じる。5人をこのWeb会議に招集したのは誰なのか。しかも、クローズな環境であるはずの会議をハッキングし、監視している者がいると参加者のトレヴァーは言う。それは一体……

正体はフィンリーであった。彼は自らの死を偽装していた。クオンティニュアムを当時の方法のまま活用したいフィンリー派と、リスクを重く見るがあまり、別の方法での活用をときに過激なまでに推し進めようとする反フィンリー派。両者が正面から対立していることこそがシステムの運用における一番の脅威だと考えた彼は、事態の鎮静化と、反フィンリー派メンバーの炙り出しを図るために第一線から退いていたのだ。

フィンリーはWeb通話の機能を使って疎遠となっていたサムとコンタクトを取る。そして、彼からことのなりゆきの説明と、家族を顧みなかった過去の謝罪、転移デバイスを受け取ったサムはシステムの完全起動に向けて、ほかのメンバーを説得し始める。パスワードの入力は本来5人による直接入力が必要だったが、サムはフィンリーからのアドバイスからタイムトラベルとテレポーテーションの同時実行を閃き、殺害されたハカンと、会議中に混乱して自ら命を絶ってしまったリクの部屋からパスワードを代理入力する。残りのメンバーは自らパスワードを入力した。

かくしてクオンティニュアムは完全起動し、ことの真相が世間にも公となっていく。ウィリアムは殺人の実行犯として、レベッカはその指示役として逮捕され、彼らのクーデター計画に参加していた警備主任のダグは自害した。やるべきことをやり終えたサムに対し、フィンリーは労いともに「また今度、ゆっくりと語り合おう」との言葉を残した。

映画『ゼロ・コンタクト』の感想

(C) 2021 92 FILMS, LLC.

コロナ禍に、17か国、89人が携わって、ほぼ非接触で制作されたというSFサスペンス。

とあるIT企業のカリスマ、フィンリー・ハートが自社を追放されたのちに死亡。追放の理由は「会社資金の私的な流用」だった。

フィンリーの死から数日後、彼のひとり息子であるサムや、元部下など4人のもとに一通の手紙が届く。それにはクローズなリモート会議への招待コードが載っていた。怪しみながらも参加した彼らに、淡々と指示をするホストAI。

「クオンティニュアムの完全起動には5人に送付したパスワードの入力が必要です。制限時間内に全員分、入力をしてください」

「クオンティニュアム」とは生前のフィンリーが悲願としていた、異なる時間、空間のひととも自在につながることのできる夢のシステムのことだ。

しかし、招集された参加者のひとり、リクは「このシステムの動力源には重大な脆弱性があり、世界を破滅に導く可能性すらあった」といい、それこそがプロジェクトの凍結、突き進めようとしていたフィンリーに濡れ衣を着せてまで追放した理由となっていたことを明かす。

パスワードの入力をしていいものか。5人が逡巡するなか、サムはある者からのコンタクトを受ける。それは死亡したと思われた父親フィンリーであった……

面白そうなあらすじだけど、あんまり自分にはヒットせず。どちらかというとエンドロールでのメイキング映像のほうが楽しめた。

コロナ禍ということで大勢でぞろぞろ動くわけにもいかないし、スタジオを借りることもできない。撮影場所はもっぱら彼らの家。それでも撮った映像を送っては「おぉー、それいいじゃん!」「いや、もっとこうしてみようよ!」とよりよい映画づくりを目指す姿がとても眩しい。

静的になりがちな画にいかに動きを加えるか。リモート会議の始まりのシーンなんかは「べつに席に座っているところからルーム入室ボタンを押すなどでもいいんじゃない?」とシロートな自分は思ってしまうけども「ノートPCを開く動作から始めれば、そこに動きが生まれるよね」と意見を交わし、さっそく映像に取り入れてみるフレキシブルさよ……

コロナ禍といえば、大学4年生のころが外出自粛のムードのある時期で、卒論提出などのゼミ活動を除けば、ほとんどの講義がZoomだった。

長距離通学組だった自分としては、不謹慎ながらはじめのころこそ「おっしゃラッキー!」と思ってたけど、これは手前の性格か、なんらかのデータがちゃんとあるのか、イマイチZoomでの講義には集中できなかった。

あとはなんかラグもある。それはWiFi環境がどうとかじゃなくて、会話のやり取り、コミュニケーションにおいて。

Zoomでの講義中には、その機能を使って小グループに分けられてのディスカッションを行うこともあった。そのとき司会進行役になったひとが言う。

「えー、ハイ。では……あ、◯◯、くん。この問題について、どう思いましたか?」

司会進行のひとと◯◯は友達の関係にあったはずなのに、その友達関係にあるということと、仮にも講義の場ということと、皆がZoomという小さなウィンドウ越しで参加している空気感のわからなさからか◯◯のことはくん付けでの改まった呼び方になり、対する◯◯も、本来、対面の場ならストレートな意見をぶつけていたであろうところを、なんだかキレの悪い意見しか言わなくなる。

そういうリモート体験しかしてこなかったのでそれは自分とその周りの環境のせいかもしれないけど)和気あいあいと、でも建設的に、素直な意見を交わし、一本の映画を作り上げていく様を映すメイキング映像に心ではウルッと来てしまったし、どんな環境であっても折れずに仲間とひとつのものを作り上げるって、素晴らしいことだなぁ……と静かに思ったりもした。

でもだからこそ、この映画にはほかに思うところがある。この輪に、素直に加わって、ともに歓び合うことのできる内容だったらもっと良かったのに、というものだ。

「繋がっているのなら、この孤独感はなんだ」とは冒頭のフィンリーも言っていたけど、まさにそれ。(メイキングの雰囲気に、とてもじゃないけど付いていけない感想を持ってしまった自分の)この孤独感はなんだ、である。

面白そうなあらすじも、クオンティニュアムの動力源であるダークマターが〜だの、タキオン場が〜だの言い始めたあたりで「おっと……?」と置き去り感を覚え始め、よく考えるとフィンリーの自社追放も会社内の考え方の違いという面では、過激だけどべつにおかしくもない処分に思えてくる。

これがシステムを競合他社に売りつけたりするような派閥が社内にあったとでもいうのであれば、フィンリーには仲間に恵まれなかった悲劇の天才、孤独の人というレッテル(レッテルを貼るのは暇人のすることだ。タマの裏を掻いてるような……とはフィンリーも講釈垂れていましたが、自分は日がな一日タマの裏を掻いてるような暇人なので貼ります)を貼って観ることができ、サムによるクオンティニュアムの完全起動を応援する気持ちになれたであろうものを、ただ「危険だからやめようよ」という考えの派閥が、まったく聞く耳を持たないフィンリーに最後の手段を取ったというだけの構図になってしまっている。

フィンリーは人類を新たなステップに進ませた天才という評価になったかもしれないし、破滅に導いたマッドサイエンティストという評価になったかもしれない。反対にフィンリーを追放した派閥は科学の進歩を100年遅らせた大罪人のような扱いを受けるかもしれないし、人類滅亡を防いだ名もなき英雄として崇められる結果となったかもしれない。

すべては結果論であって、映画のなかにおけるそれぞれの評価がその後も変化していく可能性を考えてしまうと、これ、あんまストーリーにノることはできないよね、と。

ラストのフィンリーによるサムへのセリフ、「よく頑張ったな。また今度ゆっくり語り合おう(意訳)」とかは作中の親子関係の雪解けというほかに、ロックダウン下にいる/いた人々に対して、以前のようなあたたかな対面コミュニケーションの復活を思い起こさせる良いセリフだとも感じたんだけど……うーん。

そもそも論として、描く内容をSFサスペンスにする必要があったのかなぁ……というところから考えてしまう映画だったな。

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鳥頭N(トリアタマ エヌ)
鳥頭N(トリアタマ エヌ)
映画ブロガー
ホラーやアクション、ヒューマンドラマといったジャンルが好きな20代男性。物忘れのひどいThe鳥頭。脳トレがてらに感想ブログを始めましたが、たいしたことは書いてません。書けません。
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