映画『クリーナー 復讐の女神』の感想・ネタバレ:その身を焦がすほどの愛

ゲオで店頭レンタルした映画『クリーナー 復讐の女神』を観ました。
今回も鑑賞後に抱いた感想・雑感をネタバレ要素ありで書き残しておきます。
記事下にはコメント欄を設けてあるので、本作を鑑賞済みの方はぜひとも感想(映画、記事に対して問わず)などを残していただければ。
また「あらすじ」の項の末尾には、この映画のラスト・結末までの展開をごく簡潔にまとめて掲載中。内容をおさらいしたい、鑑賞前にざっくり内容を把握しておきたい方などは参照のこと。
↓ネタバレ要素なしの感想はこちら!
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映画『クリーナー 復讐の女神』の作品情報
監督・脚本・編集
- ジャン・エヴレノル
映画『ヘルケバブ 悪魔の肉肉パーティー』(2015):監督・脚本
役名/キャスト
- ドゥイグ・コジャビイキ/サヤラ
- エミリ・キヅィレルマク/バリス
- オズグ・コサシュ/ヨンジャ
- レヴァント・ウヌ/ハリル
- ジャネル・アタジャン/エミン
予告編(海外版)
あらすじ
イスタンブールのジムで掃除婦として働く移民のサヤラ。 ジムのオーナー、バリスに密かに思いを寄せていたが、姉ヨンジャとバリスが不倫関係にあった。ある日、ヨンジャはバリスに呼び出され、バリスの仲間から激しい暴行を受け殺されてしまう。だが、政治的な権力を持つバリスの父親の手回しで、ヨンジャの死は自殺にみせかけ処理されてしまう。ヨンジャが殺されたと確信するサヤラ。サヤラは幼い頃よりソ連の軍隊格闘術サンボのチャンピオンで裏社会で暗躍した父から、格闘術を叩き込まれ、殺人マシンとして育てられていた。人を殺める技を封印していたサヤラだったが、愛する姉の屈辱を晴らすため、その能力を覚醒させるー!
- 映画『クリーナー 復讐の女神』ラスト・結末のネタバレ(※押すと開きます)
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(あらすじの続き)
長かった髪を切り、ヒジャブ(スカーフ)を脱ぎ捨てたサヤラ。
彼女は復讐のため、バリスの家へと向かうが、そこには彼の妻とその子ども、使用人の3人しかいなかった。
妻から奪ったスマホを用い、バリスが彼の父の邸宅に呼び出されていることを知ると、サヤラは子どものみを残して二人を殺害。邸宅へと向かい、守衛や、ヨンジャの死の偽装に関わった人物らを惨殺したのち、バリスとその父親、共犯者らを拘束し、床に一列に並べるのだった。
姉の仇は目の前にいる。サヤラは彼らを一人ずつ解放しては、父から伝授されたサンボを駆使して決闘を挑む。怒りのままに彼らの首を砕き、犬歯で頸動脈を噛みちぎり、返り血に塗れた姿で復讐を遂行していくサヤラ。最後に残ったのは、かつての想い人バリスだった。
怒り狂うサヤラは自ら定めたルールを破り、自身と、拘束したままのバリスの体にガソリンをかける。そして、その身に火をつけると、怯えるバリスに無理やりを抱擁し、口づけを交わすのだった。
優しき父親でありながら、国に使える暗殺者としての顔を持っていたサヤラの父は、彼女がまだ幼いころに自ら命を絶っていた。記憶のなかの父はよく泣いていた。父は幼いサヤラの「ひとを殺したことはある?」という質問にこう答えていた。
「一度だけ。戦士は最初に殺した人だけを覚えるものだ。その後は、闇に堕ちるんだ」
燃え盛る炎に身を包まれ、とうとう呻き声を出すこともなくなったバリス。サヤラはバタリとその場に倒れ込み、二度と立ち上がることはなかった。
映画『クリーナー 復讐の女神』の感想

ジョナサン・リース・マイヤース、アントニオ・バンデラスら共演の『クリーンアップ 最強の掃除人』と同日にレンタルを開始した本作。
(記事執筆時点で)5月に入り、ちょうど車や窓にベットリついた花粉やら黄砂やらの掃除がしたいなー…と考えていたところに、2本も「掃除人」映画が来てくれたので、今回はよりスッキリできそうなジャケットのこちらをチョイスしてみました。モップも持ってるし。
これはあとから知ったのですが、監督は「野菜の次、おまえ!」のコピーと、邦題の陽気さとはかけ離れたグロさでおなじみ『ヘルケバブ 悪魔の肉肉パーティー』のジャン・エヴェノルだったんですね…どうりで血糊の量や人体損壊描写に気合いが入っていたわけです。
ということで『クリーナー 復讐の女神』、めちゃくちゃ面白い作品でした。
ほかの凡百とはちがうなというのは、たっぷりネップリ時間をかけて描かれた導入パートからもわかりましたね。
既婚者でありながら不倫を重ねるジムオーナーのバリスと、そんな彼にゾッコンの姉ヨンジャ。
バリスの浮気現場を目撃し、怒りのままにその場へ乗り込んだヨンジャだったが、逆上するバリスの前に屈伏させられてしまう。
存在しない愛を繋ぎ止めようと、必死にすり寄るヨンジャの姿は目も当てられないほどに不憫なものでした。
しかし、姉のあとを追ってきた主人公サヤラはその光景を目撃してしまうんですね。
自らもバリスに対し、小さな恋心を抱いていたにもかかわらず……
正直、バリスのなにが彼女らを惹きつけるのかは皆目見当もつきません。
が、ヨンジャが受けた心の傷、サヤラが受けた愛するひとに家族を蔑ろにされたという二重の心の傷の深さは容易に想像がつきます。
そんななか、バリスから「謝罪したい」と呼び出されたはずのヨンジャがそのまま帰らぬひととなり、あろうことかその死がバリスの父親の権力によって自死として片付けられてしまう事件が発生。
「邪魔だから片付けようぜ」というシーンをこうもありありと見せつけられると胸に来るところがありました。
心身ともに傷つけられても、気丈に振る舞おうとするヨンジャの姿がじつに痛々しい。
彼女のことを「バカ女」とレッテル貼りするのは容易でしょうが、こうすることしかできなかったヨンジャの思考回路や感情を読み取ろうとすると絶望しかありません。
と、一部始終を目撃した自分と、現場には居合わさずとも対面したヨンジャの遺体から明らかに他殺であると確信したサヤラのなかに、同火力の復讐の炎が燃え上がったであろうところから始まる仇討ちタイム。
登場人物と鑑賞している側の心情をリンクさせるのがとても上手いです。
しかし、その後に待ち受けていたのは、想像を超えた復讐に次ぐ復讐。
てっきりバリスとその一味にターゲットを絞るのかと思いきや、無関係なバリスの奥さんやお手伝いさんまで殺害していくのには驚きました。
ヨンジャの死の直後で、サヤラとは心を共にしていると思っていた自分がまるで阿呆みたいに思えてきます。
とはいえ、その振り切れ具合は凄まじく、犬歯で頸動脈を噛みちぎり、肉をハギハギ剥ぎ散らかすシーンや、喉元に突き当てたナイフをグッと押し込んでいくシーンは殺意満載、インパクト大。
トム・ハンクス主演の映画『プライベート・ライアン』では、馬乗りになった敵兵がストンと刺し込んだナイフによって、味方兵士の命が静かに終わりゆくというシーンがありましたが、こちらはより苛烈を極めた描写でしたね。
血が気道を覆い、ゴポゴポとむせあげる描写には、サヤラの復讐心が凝縮されていると言ってもいいでしょう。
しかし、なんといっても極めつけは、ガソリンを浴び、全身火だるまになった状態から、かつての想い人バリスに送る文字通りの熱い抱擁とキス。
復讐のフィナーレを飾るにふさわしい絵力の強さでありながら、改めてこの物語が単なる仇討ちの物語でなく、サヤラ自身の愛憎が粘っこくドロリと入り混じった復讐劇であることを再認識させる描写でありました。
お父さんは、残されたお母さんは私のこの行動になにを思うだろうか。
きっとこんな考えは、炎がその身を焼き尽くす死の間際まで、サヤラの頭の中には存在するスキマすらなかったんじゃないか。
言葉にできない怒りを剥き出しに暴れ狂ったさきで「闇に堕ちた」自分に気づき、嘆き、言葉にならない諦観へと移り変わる感情のグラデーション。
若さゆえの早計とも取れる行いではありながらも、この有無を言わせぬ愛憎の推進力こそが大きな魅力となる映画だったように思いました。